山本耀司インタビュー平川武治

YOHJI YAMAMOTO

Winter 1995
Jap Magazine Vol.2 No.7

ドラマ罠

彼は全てを掌握している
彼女はただ衣装を与えられ舞台に立たされる
台詞もなければ振り付けもない
しかしその衣装を身につけたとたん
彼女は全てを理解する
彼は狡猾そうな笑みを浮かべ彼女を観察している
彼の衣装を身につけた彼女がどう変貌するのかをじっと窺っているのだ
舞台で繰り広げられているのは無言のドラマだ
彼女はまんまと彼の罠にかかってしまったかのようにみえる
しかしよく見ると彼女はしだいに衣装の呪縛から解放され序々に自由さを獲得してゆく
罠にからめ取られているのは実は彼のほうなのだ

いうまでもないことだが彼は山本耀司
彼女すなわち4人のモデルたちはAMANDA、MAIKO、石川亜沙美、DANIELA U.
写真アリゾナ五郎スタイリング安野ともこヘアメイク佐藤富太という面子でお贈りする
このドラマには結末はない

あなたは観客としていつまでも好きなだけ楽しむもよし
自らこのドラマに参加してその結末を探るという楽しみ方もよし

ここ三シーズンのヨウジのコレクションには、今までとは違った意味で「凄み」を感じる。表れる服が美しく、艶やかで儚くあればあるほどに、まるで彼が使った桜の如き、ヨウジの内なる物語の「凄み」を感じる。男がいつの時か再び旅発ちを想うのは常だ。若かりし時代に旅を経験した者ならば、誰しも人生の半ばを過ぎた頃、再び旅発ちを想う。その旅の目的地は、あり得るべきはずの場所ではあるが、そこは何処であっても構わない。なぜならば、自分自らの内の「他者」に出会うための、新たな目標に狂い始める衝動の旅だからだ。

インタビュー 平川武治

平川武治 : 僕はファッションは自由の産物だと思っているんです。ところが、最近の東京のファッション シーンを見ていると、押さえるべきところを押さえていない、デザイナーの立ち居振る舞いが作品も含めて出来ていない。自由の産物であるファッションがちょっと違ってきているという印象を受ける。その辺のところを、ジャップの読者が若いということも把握していただいたうえで、お話しを伺いたいと思っています。

僕が見る限り、ヨウジさんは87—88年の秋冬で、見事なクチュールっぽいコレクションをやられましたよね。95年の秋冬コレクションで僕が良かったなと思ったのは、今までの「繊細さ」や、男の人が作る服なんだけれど、女性に対してケアフルに「僕の服を着ていただけませんか?」というような距離の置き方、そして今回はそれに加えて、クリエイションの中で大胆さが魅力として感じられたんです。大胆かつ繊細に作り込んでらっしゃった。

まず、「ヨウジ的ニュークチュール」とはどんな世界なのかというところからお話しを聞かせて下さい。

山本耀司 : よく懲りもせず飽きもせずって、自分でもびっくりするんだけど、感動するのは、やっぱり女の人の背中のカーブなんですよ。横姿、ちょっと斜め後ろから見た女の人の背中。これが、究極的なオレのクチュール。その絶妙なカーブというか曲線に、直線の布を当てて、空気を入れて膨らませて風通しを良くするか、それとも異常なまでに構築していくか、それは、どっちもオレのクチュール。女性の曲線に感動して、生地をのせるというか、流していく。だから、その時点では、モードもファッションも無いかもしれない。

今、クチュールで一番忘れられているのが、素材だと思うんです。布地っていうのは生き物だから、どう垂れるか、どう張るか、どう流 れるか、そこのところを、いつもオレは理想美としてイメージしてやっている。女性の身体の一番美しい部分に、オレの手が震えるぐらいに生地をのせていくときの瞬間というのがクチュールの醍醐味。オレは、シャネルに直接会って聞いていないから分からないけど、 あれだけ革命的だと言われた発想で、スポーツっぽいものから膝丈スカートのスーツまで、どこをどう間違えても「シャネル」と言われるものを作っている。で、オレはシャネルの作品の中で一番分からないのがシャネルスーツなんです。確かに本物を見ると、素材の良さ、ブレーディング、完成度が高い作品であることは確かなんだけど、どこが革命的なんだか、分からない。だから「クチュール」という言葉でオレの仕事を評されるとき感じるのは、一種こう、「ええ、困りましたね」という感じなんです。こっちはあまり、クチュールのつもりではやっていない。

平川 : 僕も、昔からずっとヨウジさんのコレクションを見せて頂いて、ヨウジさんのやりたい世界がいわゆる「新しいクチュール」に留まらない、「ヨウジ流クチュール」であると感じていた。で、「ヨウジ流」ってなんなのだろうという疑問が湧いてくるんです。 それと、ここまでトライアルを重ねてこられたから、いま初めてクチュールが出来るのか、それとも、明日に前進するために今回のコレクションが必要だったのか、どっちなんでしょう?

山本 : ・・・・今回のものに結果として「なっちゃった」経緯というのは、一年間を通じて37センチ幅の着物地の直線と仕事をして、直線で仕事をするのに、2シーズンもやっていると感激しなくなって、じゃあ今度は構築してみようかなと思い始めた。構築していきながら、直線美と構成美のコントラストを表現したいというのが、元々の入口だったんだけれど、今回のコレクションは着物的直線を排除している。なぜですかと聞かれても、自分では分からないんです。

クチュールと言われても仕方がないなと思う理由というのが一個あって、それは、すごく小さく言っちゃうと、肩、脇、襟、返りなどの様々な線の美しさにこだわって作ったときは、必ず「クチュールだ」と言われる。クチュール的にしようとしているのではないのだけれど、線にこだわると結果そうなってしまう。だから、結果論だけど、クチュールというのは、もともと線にこだわっているものなんですね。その線というのは、生地は生き物だから、おのずとダブル幅の生地が1メーター50センチに切られたときに持つ生地の比重があります。そういうものを一着の服の中に構成していくには、前の肩線の持ってるマイナス線と、後ろが持つプラス線が力学的なバランスを生み、それがまた面白くなってやっちゃうと、クチュールになる。ただし、あくまでも、生地が持っている比重、重さ、生き物としての素材を生かしたいと思うと、そういう作り方になってしまう。要するに、デザイン以前の問題に取りかかっていると、非常にクチュール的になるということなんです。「肩線一本がデザインですよ」と。逆説ですが。

平川 : 皺をきれいに見せるための縫い方か、無くすための縫い方か結局、クチュールの極限というのは、皺をどう美しく見せるか、つまり、どう美しく見せるかのパターン、あるいは消すためのパターン、これに尽きると思うんです。そういう意味では、今回のコレクションは、皺、襞(ひだ)、プリーツ、重なった布のたるみ、そういった要素が上手く構成されているなと思いました。そういう意味でも、クチュールをやったのだと思っていました。ヨーロッパの19世紀のクチュールというのは、着る女性のボディラインが醜いですよね。それを、いかにどうやって美しく見せるかのための皺の取り方が重要でしたね。今は、女性のボディラインもバランスがとれて美しくなり始めて、その美しくなりつつある女性の身体をさらにどうやって美しく見せるかの皺の付け方を、もしくは無くし方を、ヨウジさんはちゃんと分かってらっしゃるんだなと思いましたが。

山本 : それはもう、分かってらっしゃるんですよ(笑)。

平川 : そう、よく分かってらっしゃるんですよね(笑)。でもそれを、分かってらっしゃる人は少ないでしょう?ヨウジさんは見ていらっしやらないだろうけど、東京で今シーズンも色々、若い人がクチュールっぽいトレンドに走ってショーをやったんだけど、彼らはそのへんをよく理解していないんですよ。さっき言った、「生き物である布」をどう持ってどう捌くのかが分かっていない。でも、着物の皺と洋服の皺って全然違いますよね。

山本 : 平川さんの言う皺というのは、ドレープとかフレアーで、プリーツではないんですよね?僕の場合、イメージする女性というのは、後ろから斜めに対角線を描いて、目の前を通り過ぎる人なんだよね。

平川 : それって、歌舞伎の花道じゃないですか。

山本 : 通り過ぎる人、去っていく人をイメージしてデザインするということは、カッコ良く言うと「風をデザインする」って言うの。風をデザインするためには、クチュール的な、例えば、ここで1センチ短くすると吊れてよく跳ねるだろうとか、そういったことを、オレはよく御存知でいらっしゃるんですよ(笑)。

平川 : それは、女の立ち居振る舞いを、どう振る舞えば美しく見えるかを、よく御存知でいらっしゃるということですよね(笑)。

山本 : ということはすなわち、どれだけ、女の人の立ち居振る舞い、挙止進退にいつも感動して、眺めているかということです。どれだけ好きかという好き比べですよね。で、基本的には、オレは女が大好き(笑)。本当に女が大好きだから服をつくってるんだ、と本人が口で言う以上にオレは女が大好きなんです(笑)。

平川 : 分かります。それから、もう一つ、ヨウジさんの服づくりの中にあるのは、女性との距離感。「僕の服、着ていただけませんか」という距離の置き方。だから、ヨウジさんの良いコレクションは、それを見るだけでどういう女にヨウジさんが惚れているのか、女性像が読める時なんです。そして、その女性像は今もほとんど変わっていない。見た目クチュール的だと今言われていても、やっぱり斜め向いたカッコ良い立ち居振る舞いの女というのが、ヨウジさんの女性に対する美意識、カッコ良さなんですね。ただ、その女性との距離というのが今も昔も変わっていないのか、もっと狭まって見えてきているのか、それとも距離は離れてきているのか、近づいてきているのか。

山本 : はいはい、それではそれに対する答えとして、フロイトの言葉を持ってきましょう。壁に貼ってあるんですよ(壁に貼ってあるフロイトの写真と引用のゼロックスコピーを取ってこさせる)。

平川 : 女性を美しく見せるとは、ヨウジさんにとってどんなことなんでしょうか?

山本 : それはね、逆説的に言うと、美しい女だけに着て欲しいんです。オレの服の力じゃ、女性を美しく見せることは出来ないから。

平川 : ヨウジさんの服は、僕がコレクションを見ていなくても、街で歩いている人を見て、「ああ、あの人『ヨウジ』着てるな」と分かるんですよ。なぜ分かるかというと、ヨウジの服にはエロチシズムがあるから。それは、「セクシー」ではなくて、艶っぽい。服でエロチシズムを出せるデザイナーは本当に少ない。いくら、肌を露出させる服がセクシーさを出せても、エロチシズムは出せない。それは、ヨウジさんが、女性の美しさを造り出しているのだとしたら、ヨウジさんはどういうところが女性の美しさだと思っていらっしゃるんだろうかと思って。

山本 : ああ、そうか。オレ、暑苦しいのがダメなんだ。・・・・だから、少年のように、残骸というか、ギリギリ女をやっているような(笑)。

平川 : それは、結婚して、妻になり、子供を生んでもどこかで女でいてくれ、という部分ですか?

山本 : それは、基本ですよ。原則。ファンダメンタル・プリンシパル(笑)。一生涯恋人になる可能性を持っていて欲しい。「何々婦人」とか「奥さん」になっても、ただの女、一人の女でいることは基本ですよね。そうすると、そういう女というのは、ちょっと頭がいいわけ。そして、他を発見したと同時に、自我も発見し終わっている。非常に研ぎ澄まされている。だから、男との対立、衝突も計り知れない。そういう女はいわゆる不幸なんです。で、この不幸な女というのは、不幸であるから、デブであり得ない!不幸なデブというのは・・・・

平川 : もっと不幸ですよね(笑)。僕は単純にブスとアホは嫌いですけど。

山本 : そうそう、不幸なんですよ。どこかこう、淋しそうにして・・・・

平川 : 翳(かげ)り?

山本 : それ的だね。

平川 : 基本的に、女に対する美しさの思い込みというのは、変わってはいないですよね?

山本 : 変わっていないですね。

平川 : それは、スタートしたときから変わってませんね?

山本 : そう。で、フロイトです。(ゼロックスコピーを見せながら)「・・・・30年間、考え続けて、こだわり続けて、答えなれない謎が、"What does a woman want?"」

平川 : ・・・・ヨウジさんも同じ疑問を抱いているんだ。

山本 : そう。

平川 : 「女の人って何を考えているんだ?」っていうこと?それが、服作りの中に影響されます?

山本 : それは、大事になってきます。何考えているんだろう?という疑問を発しながら、全く同じ質問を自分にもしています。オレが憎む女性のパターンというのが決まっていて、15、6歳から18歳の、未来しかない女性、これがオレの憎悪の対象。何をしていても綺麗なんだもん。・・・・やっぱり、何か男には到底適わない自我か決意が芽生えている女性は、間違いなく通り過ぎていってしまう。「男なんか用ないわ」っていうぐらいで、通り過ぎていかなければ、エロチシズムも何も感じないでしょう?だから、「お願い、行かないで」って男にすがりつく女は、化け物以外の何者でもない。

平川 : 女性との距離の置き方も変わっていないですか?

山本 : どうなんだろう。よく分からない。コレクションをやるたびに、年齢と共に、女性との距離は開くばかりと感じています。

平川 : ヨウジさん自身に色気がありますよね。自分の色気を知っている人は、女の色気も知っているんじゃないですか?

山本 : もし、オレに色気があるとしたら、それはマザコンの色気だよ。オレは子供とババアにだけは好かれるから。

平川 : おばあちゃんに育てられた人に特有の「人なつっこさ」というのを持つ人がいますよね。ヨウジさんはそうじゃなくて、厳しくて、冷たい。それは、他人との距離をヨウジさんはちゃんと計っている人だからなんじゃないですか?そして、ヨウジさんの女性観にもそれは当てはまる。なぜなら、押し付けがましい洋服はつくらないから。だから、「ヨウジ」を着た人とすれ違って、ハッとさせられる。

山本 : そういうことが、デザイナーの取り柄だという風になっちゃうと、そうじゃない育ちの人がデザイナーになれないと言っているようでいけないと思うんだけど。

平川 : そうじゃなくて、それは、ヨウジさんが持ち得た育ちとしての風土だと思うんです。

山本 : オレの責任ということね。

平川 : そう。それを踏まえたうえで、自分が距離を置いているという気がするんですが。男にしても、女にしても。個人主義がお好きでしょう?

山本 : 憧れてはいるけど、結構馬鹿な親分肌のところもあります。頼まれたら嫌と言えない、そういう馬鹿なところが。・・・・人のことなら分かるんですよね。イッセイさんでもケンゾーさんでもアライアでも、「他人に何とかしてあげたい」という雰囲気を持っている。だけど、自分のことはよく分からないですね。よく、社員の前では「お前ら、全員がいなくなったって、オレは一人でやっていけるんだ」って言うんです。要するに、一種の愛情を裏付けに、喧嘩を売っているんです。自分で自分を思う時に、自分で一番自信が持てるというか、こうだからやっていけるという最大のポイントは、オレはすごく常識人なんですよ。ものすごく、まっとうな人間なんです。要するに、天才とか、異常な人ではない。普通の人でも、頑張れば出来るよ、という見本。

平川 : それなりに幾つかの問題をクリアーした「普通の人」でしょう?

山本 : よく母親に「あんたぐらい苦労しないで成功した人いないよ」って言われるんです。言われるとそうだなと思うんですよ。本人は、確かに内心では相当苦労をしたんだけれど。

平川 : 親っていうのは、所詮息子は幾つになったって息子ですよね。親子というのは絶対的な関係。でも、他人との関係というのは、絶対的な関係ではあり得ないですよね。

山本 : 自分の場合他人との関係というのは、自分の育ちのせいなんですけど、家庭というものを持ったことがないから、家族と他人を余り区別していない。 だから、長いこと一緒にやってくれている社員というのは、家族以上に絆が強い。・・・・なんだかもう、「あなたは素晴らしい人だ」って言われるのが、嫌になってしまいましたよね。

平川 : 言われすぎました?

山本 : こういう取材自体がそうじゃないですか。「お前はもう最低だ」って言われる取材って少ないよね。

平川 : 不良ジジイになりたい(笑)?

山本 : そう。いい加減にしたい。

平川 : 自分でいつもそう思っているでしょう?

山本 : 思っているはずが、なりきれない。

平川 : 世間と、母親の目があるから。

山本 : 中年って悲しいよね。何か、図々しくて、恥がなくて、偉そうで。気を使うのが面倒臭くなるのは分かるんだけど、いつの間にか「オレ様、オレ様」とうるさくなる。

平川 : ファッションの世界で生きていると、「オレ様、ファッションって、」になってしまうところがありますよね。

山本 : うん。特に、ファッションって普通のアートとは違って、もう一個要素が多い。「消費財」として、展開しなければならない。ある量、売れなければならない、そして人気。人気と売り上げが比例しなきゃダメですよね。本当に通俗的な職業だと思いますよ。皆が一番になりたいと思っているんですから。そんなこといちいち真剣に考えていたら、疲れますよね。

平川 : 今の時代の国、都市の構造、つまりクリエイションが、個人主義者のための構造になりつつありますよね。例えば、今、街にパリまがいのカフェがたくさん出来始めていますよね。僕は、それは個人主義者の都市構造の表れだと思うんですよ。で、自分自身と他人との関係を、無意識に意識し始めている。それが都市構造にも表れてきているんじゃないかと。カフェというのは、パリの個人主義の賜物の都市構造だと思うんです。

山本 : そこのところが、日本人には欠けている。個人主義の最も大切なことって、他を知るということですよね。自分と違う人間他がいるんだと認識することでしょう?

平川 : 他を知ることによって、自分の存在を認める。

山本 : 日本の今の個人主義というのは、どうもそこまで洗練されていないと思いますよ。つまり、他を知るとか、センス良くなるというのは、苦しいこと。要するに知れば知るほど苦しい。

平川 : 服作りのうえでも、個人主義のデザインがありますよね。

山本 : うん。オレが20年ぐらい思い続けていて変わらないなと思うのが、「押し付けない服」。どっちかといえば、床に放り出して 「好きだったら着て下さい」という服。それから「用が無かったら、捨ててくれ」という服。特に「用も無さそうな人は入ってくれるな」という意 識があったから、ブティックは入りにくく作った。プレタポルテというものに全て賭けていた。つまり、服を作る人と着る人が常に対等でなければならない、と。

平川 : その辺で、ヨウジさんは女性との距離を持ってらっしゃる。

山本 : だから、オレは見栄っ張りなんじゃないかな。

平川 : それは、色気なんでしょうか?それは、女性に対する美しさ?女性を美しく見せるということは、ヨウジさんにとってどんなこと?

山本 : 大体、こちらに正面向けている人を綺麗だと思ったことはない。仕事している姿とか、夢中になっているものに向かっていく姿、それが綺麗だと思う。

平川 : それは、いわゆる西洋人が考えるファッションとは違うでしょう?

山本 : 違うかも知れない。

平川 : 今までに、西洋人が西洋人のために作ったファッションというのは、正面切ってますよね。「ほら」という。そんな女性に対する見方、関わり方もあるんだとびっくりしたのが、初期にヨウジさんがパリに出てきた時の、パリの印象だったんじゃないですか?

山本 : オレはね、びっくりした人と、当然として受け入れた人と、両方いたと思うんです。例えば、仕事を何年か手伝ってくれているイレーヌがオレによく言うんだけれど、彼女が思春期の頃に、男の人から好奇の目で見られるのがすごく嫌で、サラムーンなんかと一緒に黒い木綿の大きい服ばかり着ていたんだって。すると時々、お母さんに全部その服を捨てられた。だから、自分達にとって、黒い服なんか目新しくも何でもない。そういう意味では、下地は世界中に共通してますよね。それは、どういう国かというと、ファッションが可能な国、宗教に支配されていない国。そういう国って、結構少ないでしょう。

平川 : ということは、自由が自由として認められていて、それを謳歌できる国ですよね。

山本 : そうです。

平川 : 全然話は変わりますけど、1968年は何やってました?69年にパリに行ったでしょう?

山本 : 69年にパリへオレが行ったの?じゃあ、68年は学生だったかな?

平川 : 68年といえば、僕らの年代からいうと学生運動の年でしょう?パリなら5月革命があった。その時ヨウジさんは、どうそういう事柄に関わったのかなと思って。

山本 : なるほどね。オレは、そういうことに関わって悩むのが、カッコ良いと思わない人だったから。オレが、日本的な学生運動に先輩や後輩が騒いでいるのを、その頃見ていて思ったのは「そんなことしていると、警察が強くなるぞ」ということだけだった。

平川 : 実際に、国家権力が強くなりましたね。

山本 : 逆らうなら、一生賭けて逆らわないと。

平川 : ヨウジさんは、洋服で一生逆らう気なんでしょ?ヴィヴィアン(ウエストウッド)は、僕がインタビューした時に「アヴァンギャルドはエレガントだ」と言ってましたよ。

山本 : それは、イレーヌもいつも言っている。美しいものはいつもエレガントだって。その時代々々で、魅力的なものはいつもエレガントだって。だから、ロックンロールもエレガント、パンクもエレガント。そういう意味では、エレガントな女性というのは、理想的な姿としてありますね。「あの女性はエレガントだ」というのは、昔の洗練された洋服を着ているからエレガントなのではないですよね。

平川 : 現代という時代をどう思われます?肯定します、否定します?

山本 : 現代?少なくとも、中世よりは好き。

平川 : 現代というのを、ヨウジさんはどう思っているのか、それは今、僕が分からない点なんです。ヨウジさんは、今現代を肯定しているのか、否定しているのか、好きなのか嫌いなのか、その辺がよく分からない。

山本 : そこまで観念的に考えたことがないから、よく分からない。どの時代に生きていても、「今」という意味あいなら、オレは「今」が大好き。観念としての「現代」は・・・・分からない。だから、ヴィム ヴェンダースの「ベルリン 天使の詩」にあるんだけど、今しか分からないこと、例えばタバコが旨いとか、死んだら分からないこと、それが大切ですね。

平川 : その時その時の今と、仕事として作られる洋服、それから着る女性の関係というのは?

山本 : ・・・・最近自分の服が、いわゆる「ス トリート」では、街では、日常生活では着こなしにくいんじゃないかと思ってきています。

平川 : 着る側からしたら、捌きにくい洋服ですね。でも、人はそれを「エレガントな洋服だ」と思い込みますよね。

山本 : そう。重い服が、時代がかった服がエレガントだと思われる。それは、自分でも気付いているんだけれど、じゃあ、「今」という時代の「軽さ」に合わせて服を作れるかというと、それは出来ない。自分の思い入れがそれを許さない。「女ってもっといいもんだ」って作りたいから。

平川 : 「今」という所に、自分からわざわざ下へ降りていって、「さあ、もっと上へ昇りましょう」ということはしない人ですよね。

山本 : ・・・・たまにしたいなと思うことはあって、することもあるんですけど、結果として作品はそうじゃなくなる。

平川 : 手を伸ばせば、引っ張りますよという感じですか?

山本 : 階段を上る意思があるなら、手ぐらい引っ張りますよ。

平川 : それが、ヨウジさんの優しさですよね。周りの人を見ると、冷たく手を掴んでいる場合がありますからね。

ところで今でも、パリにサンプルを持っていってから、ショーのコーディネートをしてます?

山本 : だいたい、オレの服は一着一着が余り完成していないから、組み合わせ、重ね着だけなんだよね。だから、パリに着いて、箱を開けてみないと分からない。パリの顔つきと日本での顔つきは違うから。

平川 : そのコーディネートがすごく上手ですね。メンズなんか、特に上手い。

山本 : 「まとめの山本」って言うんですよ。・・・・オレ、いつも思うんだけど、どうしてどこの新聞も雑誌も三宅一生、山本耀司、川久保玲の対談やらないのかって思うんだよ。一生さんが嫌がるかな(笑)?

平川 : 不可能だと思う人が多いんでしょう(笑)。僕は、実現すればとても面白いと思いますよ。ところで、パリってどうですか?

山本 : パリは、平川さんがいつも違う女の子と歩いていたところ(笑)。

平川 : パリって、10年続けてみて何だったんでしょうね。怪物?妖怪?

山本 : 結構、正直な妖怪、怪物でしたね。

平川 : 底の無い妖怪?そうじゃないと続かないでしょう?アメリカは、答えが算術的に出ますよね。

山本 : 余りにも一直線で恐いですね。

平川 : そういう意味で、東京ってどうですか?

山本 : もし海外で「東京ってどうですか?」と聞かれれば、いつも、テープレコーダーみたいに決まって「自分自身について答えるみたいで、恥ずかしくて答えられない」って言うんです。好きでもないし、嫌いでもない。でも、平川さんに今改めて聞かれると、ちゃんと答えないと。そうだな・・・・。

平川 : パリは怪物だけど、東京はまだ怪物になっていないですよね。

山本 : なっていない。みんな、田舎から出てきた人が、へんに都会ぶっている。

平川 : 地に足を着けよう、着けようと必死になっている。

山本 : で、田舎っぺの方が成功している。東京の人は照れちゃって成功できないのかな?それじゃあ、オレは東京の人の肩を持つかというと、そうではなくて、何かこう、粋な奴、洒落ものとか、自分を高いところに置いて他人を見下している東京人の態度って、すごく嫌いだね。

平川 : 自分自身は安全パイを握っている、俯瞰的な発想ですよね。

山本 : だから、大阪行くとホッとする。

平川 : 東京のファッションはどうですか、問題意識とかあります?

山本 : 最近、特に感じる二つのタイプというのは、洋裁学校の学生タイプ、それから70年代ルックスタイプ・・・・ピタピタのシャツ ジャケットにベルボトムという。

平川 : 僕流に言うと、それは「クラブブス」と「キューティーブス」。

山本 : クラブ ブスにキューティー ブス・・・・それね(笑)。それから、千鳥格子のミニスカートに、同じ千鳥格子のケープにボンボンが付いているのを着ているコ。それを、だらしなく、なびかせるでもなく垂らしてるコ・・・・形容の付かない豚状態。この二つが、一番東京で気になるね。

平川 : どんな風に気になる?自分の女性観のターゲットじゃないでしょう?

山本 : オレ、こういうの勉強しなきゃいけないのかなあ?オレ遅れているのかな、って(笑)。

平川 : 僕は前回、何が東京的なのかなと思いながら、コレクションショーを見ていたんですよ。ヨウジさんの服は、どういう視点で「東京的なるもの」を見ているのかなと思って。

山本 : すごく、変な話になるけど、日本にはパンクは育たないという基本認識があるんだよね。・・・・そういったトレンド的な現象からは、出来るだけ距離を置いていたい。かといって、山本ここにありき、というのもたまには見せておかないと、会社が危なくなる・・・・というようなことを、漠然としか感じていない。一番強く感じるのは、自分をすごく高いところに置いて言わせてもらえば、「オレの服が似合う女は減ったな」ということなんです。昔は「あんな女に着てもらうために服作っているんだ」というような女性に東京で出会うこともあったんだけど、最近ますますそんな女性は見ない。ということは、余りいない存在のために、服を作っていることになる。ところが、過去一年間のコレクションが、例年に比べて異常に売れている。でも、オレは街で人がオレの服を着ているところを見たことがない。いつ誰がどこで着ているんだろう、皆、買って家にため込んでるのかなあって。そういう意味で、オレの服が現実感を失い始めたかなと思う。

平川 : それは、ご自分で分かってそうなさっているんですよね?

山本 : そうでしょうね。

平川 : ・・・・ヨウジさんは今、この宇宙から外れてしまっているというのが、僕の印象なんですよね。ただ、それは、今だから出来ることなのか、それとも歩んだ結果がこれなんでしょうか?

山本 : コレクションでは嘘つけない。一生懸命作ったらこうなってしまったというのがコレクションだから。意識して、遠ざかろうとか、遠ざけようとかしないです。何とか人に繋がりたい、伝えたいという想いでやった結果がこうなんだということ。オレが一つ自信を持って言えるのは、オレは消費者を、女を馬鹿にしていないということ。

平川 : 川久保さんが、ヨウジさんがソルボンヌでやった着物のショーを見て「馬子にも衣装」って言ったんですってね(笑)。「あなた、 なぜこんな服作っているの?」って言う意味かな?

山本 : そういうのじゃなくて、会場が良ければ、ショーまでよく見えるという意味でしょう。女の人というのは、最も大事なときに他人の弱点を見つけるのが、実に上手いからね(笑)。女性の天性だね。

平川 : 生理的な問題かな(笑)。

山本 : だって、大事な話しているときに、「この人の眉毛が一本長い」だとか、そんなことばかり気にするでしょう(笑)。

平川 : さっきヴィヴィアンの話が出たんだけど、「人間が好きですか?」という洋服がありましたよね。人間は好きですか?

山本 : そんな難しい質問・・・・答えられない。

平川 : 僕は、僕の持っていない部分を持っている人は、信じるというより、頼るしかないでしょう?

山本 : オレはもうちょっと、絶望しているかも知れない。だから、いない人のために服を作り始めたかも知れない。

平川 : いない人のためにものを作った結果、いないと思っていたはずの人がいたかも知れない。

山本 : それは、分からない。買ってすぐ箪笥にしまって、・・・・過去1年間の服なんて高いし。絞り染めなんて特に。だけど、街でオレの服を着た人に会ったことがない。ということは、自分の家にコレクションしちゃっているのかなあ?オレは、自分の服を、オレのアイディアと気持ちを路上に降ろしたい。オレの服着て、男と喧嘩して欲しいし、スーパーマーケットへ行って欲しい。だけど、どうもオレの服は家の奥にしまわれちゃったんじゃないかと思うんです。

平川 : それは、ヨウジさんが自分の服は博物館に入れたくないという発想と同類かな?

山本 : 同類。やっぱり、着てもらって初めて完成するのが既製服で、「作品」になるのは嫌だから。で、着てもらって生活しているのをオレに見せてもらわないと、オレは次に行けない。

平川 : 話は変わりますが、坂口安吾がお好きですね。ある種、戦後文化のメタファーなんですかね。

山本 : うん。すごく、ファッショナブルな人でしょう。安吾をしゃべり出すときりがないけれど。

平川 : 多分、ジャップの読者の年齢層からすると、読んでいない人は多いと思うんですが。

山本 : 読んでないでしょうね。傑作が無い人だから。例えば、「わが輩は猫である」なんかよりは、遅れて出てきた人でしょう。だから日本人の血にもなっていない。

平川 : 戦後のあの時期に、アヴァンギャルドな存在でしたよね。

山本 : 存在と作品のバランスが取れていないですよね。だから読めば読むほど痛々しく、共感を覚える。問題なのは、名作が少ない。考えていることとその人自身はすごいのに、「堕落論」「白痴」どれを取っても傑作ではない。

平川 : ファッションの世界にもそういうことがありますよね。

山本 : 多くの人に読まれるとか、多くの人に着てもらえるということは、やっぱり作品のプラスの証明ですよね。だから、自分の服を着てもらわなくたっていいんだと思っているデザイナーはいない。読まれなくていいと思っている小説家もいない。ところが同時に、ここから先は一歩も譲れないというギリギリの価値観がある。それを、身売りしてまで媚びたくないという意識は、どんな表現活動している人にもあるでしょう。

平川 : それが、結果としてクチュールになったということはありませんか?

山本 : まあ、そうなんだと言ってしまった方が気が楽なんだろうけれど、オレは既製服のデザイナーだから、そう言われるたび逆らっているポイントが一個あって、例えば、過去2、3年間の間にタータンチェックさえ使えば売れるという時期があった時に、絶対タータンを使わなかった。それは、自分を保つためのテンションなんですよ。その代わり、肩線、わき線一本にもの凄い精力を使う。それは、オレが許さないだけでなく、オレの願っているブランドもそれを許さない。だから、山本のOKをもらうのが、アシスタント デザイナーの仕事では無く、コレクションがOKするかどうかなんだってしょっちゅう言うんです。ということはすなわち、今の人たちに繋がるかどうか。繋がるっていうのは、表現活動をしている人というのは、力の無い芸術なんか無い。存在しない芸術なんて無い。力ということは、情熱、伝えるということ。けど、そうやって作ったものの売れ行きが鈍いと広報部から聞くと、時として堕落したくなることもありますよね。だけどそうなったらダメだということは、デザイナー誰しもが思っていることだろうけど。

平川 : それがやっぱり、本来デザイナーのファッションと自分との向かい合い方ですよね。

山本 : ファッションという道具で自分のナルシズムと情熱、アンビションを達成させようとしているのか、それとも服が好きで、服を作るしか能がないというぐらい好きでやっているのか、そこに大きな境目があるんですよね。で、それを見抜く力が有るか無いかで、ジャーナリスト、バイヤーなどを区別している。

平川 : その見抜く力がある人というのは、パリの方が多い?

山本 : 先鋭的な戦いが1年に2回繰り広げられて、やっぱり修羅場的な恐さで磨かれることがある。そこへいくと、東京では恐ろしさが足りない。だいたいヨーロッパではライセンスっていう概念がない。日本だけでしょう?ヨーロッパのデザイナーの名前借りてきて商売するなんて。

平川 : ヨウジさんにとって、コレクションってどういう目的があります?

山本 : 目的は、他の表現活動と変わらないと思うけど、コレクション一作ごとに自分が育つかも知れない、勉強できるかも知れない。やったことで自分が高くなれたか、前へ進んだかの連続だと思う。そのためにコレクションをやるんです。それと、ファッション デザインの恐ろしさというのは、一回コレクションを休んじゃうと取り戻せない。たとえ、その時代の瞬間が好きでも嫌いでも、自分自身を時代のど真ん中に身を置いて、散々な目に遭わないと次が見えてこない。これだけは、ファッション デザインの特殊な部分だね。作家というのは「蓄え」のために何年か休んだりするけど、デザイナーは蓄えがきかない。

平川 : ファッションは時代の生鮮食料品ですよね。今の東京の若い人に対して、何か言いたいことってあります?

山本 : 無い(笑)。

平川 : 山本、川久保、三宅以降、誰も目新しい人が出てきていない。いつか、ヨウジさんを蹴落とす人が出てくるんでしょうかね?例えば、洋服は消費財だから、パクってデザインしても、それがお店に並んで売れれば世間はマルを出しますよね。その恐さは、今結構若い人の中に見受けられるんだけど。本質的なクリエイションと、自分とファッションとの向かい合い方、本当に正面切って向かい合っているかが・・・・。

山本 : ・・・・オレは、若いデザイナーの殆どがファッション流行時代の被害者じゃないかと思う。

平川 : 何の被害者?

山本 : 他の分野だったらもっと才能を発揮できたかも知れないのに、たまたまファッションへ来たがために・・・・という。本当に「ファッションしかない」からデザイナーをやっているデザイナーがどれだけいるのか・・・・。つまり、ファッションデザインブームの被害者。例えば、ボブディランやボブマーリィーみたいに「歌うしかない」から歌っている歌手というのがいる。声そのものが芸術でメッセージになっている。そして、同じように歌いたいと思っているんだけど歌えない「犠牲者」の歌手が、またゴマンといる。オレから言わせると、憧れを商売にしちゃいけない。自分の悲願が、悲しいまでの願いが本当にそこにあるのか、そんな疑問を若い人に感じてしまうのはつらい。

平川 : 若い人にとって、ファッションが今そこまで思い詰める状況ではなくなってきていますよね。

山本 : 思い詰めなくて作るから売れる「軽さの時代」ならそれでいい。その代表選手で、パリコレで人気があるドリスヴァンノッテンなんかには、オレは無感覚になってしまう。違う世界で生きているから。そこいくと、マルタンマルジェラなんかには、クリエイションを感じる。勉強しようとも思わせる。東京で出た若い人たちのことを、いつも本当に分かりやすく一言で言いたいと思うんだけど、出てこないんだよね。「3年で決めてくれ」とは、思う。3年で大きい人か、そうじゃないか、決めて欲しい。7年も10年も同じことをやられると「いらないんじゃないか」と思う。さっき言ったけど、東京は田舎っぺが集まっている街で、田舎っぺほど頑張る街だから。オレもパリ行った田舎っぺだけど。・・・・一番のポイントだと自分で思っているのは「冗談」。パリで人気が出たのも「冗談」。すごい言葉だけど「たまたま観」ていうの(笑)。ある意味で自分を冷ややかに眺めて「つぶれたって何も失うものは無い」っていうぐらい開き直っているかどうか。平川さんが、若い人のコレクションでは30点以上なかなか作れないって言っていましたね。それはオレでも感じていて、もし30点でコレクションが成り立つならば、本当に隙のない洋服だけを見せられるなって思う。でも、なぜ70点も出して見せるかというと、言いたいことを言い切ってみせて、好きか嫌いか届いたか届かなかったか、やっぱり自分をボロボロになるまで投げ出してみて、叩きのめされることをやっていないんだとしたら、それではやっぱりいけない。自爆するまで表現しなきゃ。

たとえ話だけど、何年か前のコムデギャルソンが、服を製品洗いして縮めてボロボロルックをやりましたよね。「縮絨」というやつ。その時、この会社は、会社を揚げて服を縮絨させて・・・・カッコ良いなと思いましたよ。縮絨というのは、なかなかデータの定まらない技術で、要するに賭け。それを、あの世界的なブランドが会社揚げてギャンブルしている、あの腹の据わったところ。ということは、今の若い人たちよりも、コムデギャルソンの方が精神的に若いということなんですよ。

平川 : 東京の若い人たちのコレクション、見たりします?

山本 : 見に行きたいなと、ふと思ったことはあるけど、前に何回か嫌な思いをしたので。今若いと言われている連中より一つ上の連中・・・・何回か見に行って、それ以来行っていません。・・・・この間、毎日新人賞貰った人、誰だっけ?

平川 : 津村さん。

山本 : そう。何かある人なんだけど、作家が悩んでるようなポーズつけてるな・・・・。

平川 : そのへんの人たちは、僕はもう新人とは思っていないけど、クラブブスやキューティーブスの服作る若い人は?

山本 : オレ、そっちの方は可能性を感じるんだよね。ボンボンの付いている方は、サリン使って抹消してもいいけど(笑)。

平川 : 日本の人が修羅場を乗り越えて、自分のシチュエーションをなかなか作れない。教育が問題なんでしょうかね?ヨウジさんは、文化服装学院を出て、学校からパリへ行かせて貰いましたよね。

山本 : オレは、それは学校側の政策だったと知っていたから。有名大学出た男のコで、将来もし有名になれば学校の知名度も上がるだろうって。特に、遠藤賞の時はそう思った。装苑賞は頑張って取ったと思うけど。で、スポイルされた。若かったからチヤホヤされたし。

平川 : 憧れをビジネスに取り込むのが専門学校だと僕は思っているんです。

山本 : いいんじゃない、末は宗教法人と一緒で(笑)。商売だから。

平川 : 今の学校教育で、ヨウジさんを継ぐような学生を育てるようなことは出来ないでしょう?

山本 : 街の洋裁店の先生にしごかれながら、歯を食いしばって頑張っているやつがいれば、そっちの方が可能性あるでしょうね。今の専門学校のカリキュラムでは、服は勉強しないもんね。

平川 : 女の身体も勉強しない。

山本 : 全然しない。生地の勉強もしない。女の身体と生地を勉強しないということは、服は作れない。それは、文化服装学院の先生も感じていて、今度オートクチュール科というのが出来るらしい。すると今度はまた極論まで行っちゃうんじゃない?手縫いがどうのって。

平川 : それは、僕流に言うと、良い素材、良い縫製の昆虫採集の標本作ることイコール良いデザイナーという錯覚なんですよ。さっきの生鮮食料品という時代の気分とは全く違いますよね。東京のファッションシチュエーションを、ヨウジさんは「文化になっていない」って昔言いましたよね。ある種、ファッションはファッションだけという業界があるって。それから、今の若い人って、変に自信過剰ですね。

山本 : どういう風に?

平川 : 砂上の上の自信過剰。

山本 : なぜ?

平川 : コラージュしても、売れたらデザイナーになれてしまうから。コレクションしたらデザイナーと呼ばれる構造がある。本当に自分のクリエイションで競い合うという構造が出来ていない。ある程度、お金があってコレクションをやれば、雑誌のコレクション特集に写真が出て「東京コレクション参加デザイナー」になる。値段が安ければ売れるし、勘違いの元にもなる。周りも悪いんだけど。

山本 : 錯覚の人を育ててるんだね(笑)。オレだって仕事していく自信を本当に持てるときは少ないから、たまには勘違いさせてもらわなきゃ。

平川 : それは、自分に対する思い込み?

山本 : うん。

平川 : じゃあ、自分のエネルギーを燃やしているわけでしょう?

山本 : うん。だから、オレは音楽をやったときに色々と学んだんだけど(笑)、やっぱり歌う側が酔っていないと、伝わらない。 錯覚が必要(笑)。

平川 : それは、結構男の発想ですね(笑)。

山本 : ・・・・分かった。今の東京の大問題。男のデザイナーが多すぎる(笑)。やっぱりね、シャネル、ソニア リキエル、ヴィヴィアン・・・・その人の存在から出てくるような・・・・

平川 : 毒気がない?

山本 : そうだ。お利口さん。皆、同じ仮定法の上でやっている。

平川 : みんな、夏休みの昆虫採集みたいに、ちっちゃい虫集めて綺麗に並べて。

山本 : やっぱり女流がいないからかな。すごい女流がいれば、男流も圧倒されて刺激を受ける。シャネルがいないんだよね。

平川 : 僕は、「豚もおだてりゃ木に登る」という環境がすごくあるなという感じがするんです。

山本 : それは、日本が就職難と言われているけど、若者が本当に食えないなんてこと無いでしょう?だから、パンクもロックも生まれない。ヨーロッパのパンクなんか、すごいもんね。 命を懸けている。

平川 : それは、アレクサンダーマックイーンをインタビューしたとき、感じました。彼は自信が自分を湧かせている。

山本 : だから、さっきの学生運動の話じゃないけど、一生賭けて反抗する動機がどこにあるんだろうかって。反抗の対象が・・・・。一生さんが何に対して反抗したいか分かるし、ケンゾーが何に対して頑張ったかも分かる。今、何に反抗しているのか分からない。

平川 : 豊かさ?

山本 : 豊かさに対する反抗というのは、我々も「ボロファッション」で随分やったし、もう古いね。そういった意味で、今の若い人に三つ種類があって、コムデギャルソン、ワイズ風の古い「80年代タイプのアヴァンギャルド」、シンプルでシックでよく売れる「お洋服」、それと「クチュール」・・・・「ものづくり」とかいうやつ(笑)。その三つかな。

平川 : その「ものづくり派」が昆虫採集の標本作っているやつですよね。・・・・あと、なにかこの際言っておきたいことってあります?

山本 : この際言っておきたい?「ラーメン屋の親父になるな」(笑)。たった一店舗の主で自己完結するなら、会社をやらなくてもいい。よく、ワイズを辞めてもなおかつ繋がりのある可愛い奴等に会うたび言うんです。「お前、ラーメン屋やっているのか、社員何人だ」って。「いや、カミさんだけです」って。・・・・要するに、自立が目標になっている。可哀想になりますね。どうせ自爆する人生なら、親の金、親戚の金、銀行騙して全部騙して、とにかく自分のために自分のエゴを振り回して欲しい。今の若い人はおとなし過ぎる。

平川 : 自爆したいとは思っていないかも知れない。自爆は、若い人にとって恐いことかも知れない。だから「砂上の自信」になる。 古い言葉かも知れないけど、アナーキーな生き方というのが、今の若い人たちの生き方の中には無いんじゃないかな。

山本 : カッコ良く成功したいのかも知れない。・・・・見ていて、胸が痛む。悩む人ってカッコ良いかも知れないけど、本物というのはあっけらかんと開き直っている。皆、カッコ良く悩んで、道化だね。偽物ほど深刻だから。軽いものを重く見せようとしている。・・・・こう言われたら悔しいだろうと思うからまた言うけど(笑)、気の毒だね。本当はむいてないかも知れないのに・・・・なんて言ったらこれに反発して頑張ってくれるかもね(笑)。

彼の旅のレシピは36cm巾の着物布を使った「ヌーヴェル・キュジューヌ・ジャポネ」に始まった。そして「ヌーヴェル・キュジューヌ・フランセ」を仕上げ、続いて、真のクチュリエたらんと「布を捌く」ために襞(プリ)に真正面から挑戦したのが前シーズン。

ヨウジはパリのクチュリエたちへの晩餐に臨んだのか、または、彼らたちの帝国(インペリアル)へプロパガンダしたのか。それはあたかも法制を説く東洋の禅士か、それとも大風車に挑んだドンキ・ホーテか。いづれにせよ、好きなものの価値と仕事の価値の間にいる男、山本耀司は、新たに歩み始めた旅で自らの内に「他者」を見つけ出したのだろうか。

平川武治